障害を持つ労働者から学ぶ
先に紹介した通り、大手生命保険会社Zで働いていた身体障害を持つ労働者Bさんが群馬合同労組に加入して、Z社X支社でのパワハラ・虐待に対する謝罪と補償を求め、責任追及の闘いをともに闘うことになった。
今回、群馬合同労組はBさんから労働者が差別を乗り越え、団結して闘える連帯を作り出すために、Bさんのこれまでの人生と闘いからしっかり学ぶ必要性を感じている。そこで、Bさんの同意を得て、2年前に、BさんがSNSで投稿したものをこのブログで再掲させてもらい、共有させてもらうことにした。
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再掲にあたってのBさんからコメント
わたしの障害は「絞扼輪症候群」という先天性の四肢障害で、両手とも合わせて使える指は4本しかありません。この手指の形状では、接客業や飲食業や工場のライン仕事はできないと考え、事務仕事であれば、この手指で働いて生きていけると考え、自立を目指し、勉強を続け、自立して働いて生きていけるようになりました。
それなのに、ある大手職業紹介会社の紹介で入社したZ生命保険会社に入社し、たった1年半で職場での虐待やパワハラにより、身体障害は悪化し、現在、生命に関係する疾病を優先し治療を受け、いつ仕事がまたできるようになるかはわからない状態です。
身体障害の悪化は、嫌がらせで重量物を私の障害をわかった上で運搬させるなどした結果、
脊椎神経を痛めました。そして、私の大事なたった右手指で動く親指もまだ治療は開始していませんが、動かすことができなくなる手前でした。私はこの会社で自分の障害を重くされました。もう、この会社に勤める前の身体には戻れません。
私は自分なりの手指の使い方をし、キーボード操作もMicrosoftOfficialTrainer2007という資格も取得しており、社員に対しての教育訓練も担当した経験もあり、健常者同等にはキーボード入力操作をしていました。法学部卒ですが、違う会社ではVBAも書いていました。どんなに治療しても、この会社に勤める前の身体には戻れません!
2019年10月の投稿
昨日は二組と言うのでしょうか、先天性四肢障害のお子さんをお持ちのお母さんと話をする機会を得ました。
私達という言い方をするならば、過去「優生保護法」の対象ともなった疾病です。
私は身体障害者手帳を交付されていますが、障害の内容・程度によっては、身体障害者手帳を取得されない人達も多くいます。
私達は「異形」「奇形」と称され、生きてきました。
『この手でじゃんけんができるか?』
『この手で鉛筆が持てるか?』
『この手で鉄棒ができるか?』
・・・手に障害を持つお子さんのお母さんは思います。
そして、この手で、この子は生きていけるかを考え、悩みます。
この手の姿では、飲食業や接客業に就くことは難しいのが現実です。
ほぼ、無理だと言ってもよいと私は思っています。
知りあいの飲食業や接客業をしている先に、頼み込んで働かせてもらうことは出来るかも知れませんが、そこに来るお客さんにとって、私のような手の人が接客したら?
『こんな手の人が触ったものは嫌だ』とまた言われたら、知りあいの商いの支障になると考え、働かせてもらうことを頼むことを遠慮するでしょう。
働いて生きていかなくてはなりません。
今でも『俺達の税金で生きているくせに感謝がたりない』などと、ご自分の生活の厳しさを障害者という区分に属する私に苛立ちをぶつける人達もいます。
私のような障害をもつ者の多くは、公的扶助、障害基礎年金の受給者には該当しません。
私も身体障害者等級3級ですが、障害基礎年金の受給者にはなれません。
生きている以上、働いて生きていかなくてはなりません。
私は、お嫁さん、そして、お母さんになる選択もしませんでした。
医師から、私の先天性四肢障害は遺伝しないと診断されていても、私は自身の障害が遺伝した場合のことを考え、怖くて、家族をもつ選択をしませんでした。
ひとりで働いて生きていかなくてはならないと思い、生きてきました。
これまで両親のために私は存在し、両親のために頑張って生きてきました。
人間扱いされないこともよくありました。
ひどいことを言われたり、ひどいことをされたことも沢山あります。
その度、生きることが辛くなることも沢山ありました。
けれど、まわりの人すべてがそうではなかったから、今、生きていけています。
これから先の未来、私と同じような手の人と一緒に生きていきます。
そして、もしかしたら自分だったかも知れない手や足や耳の形の違う子供達の未来が拡がるように、微力ですが、支援を続けたいと思っています。
*写真には私の手の写真と説明も含まれています。
気持ち悪がられる方もいると推測しています。友達を削除していただいて構いません。