読売新聞足利西部解雇撤回の労働委員会で徹底的な反論
1年前に解雇されたN組合員の不当労働行為を争う群馬県労働委員会。群馬合同労組は2020年8月3日に第3準備書面を提出して会社の主張に徹底的な反論を行った。
会社の主張は、解雇はN組合員が「不着」(配達漏れ)と「遅配」を繰り返し、挙げ句に「欠配」(無断欠勤)まで起こしたので、会社に損害を与え、他の従業員に多大な負担を生じさせたことによる普通解雇である。懲戒解雇でもないし、組合差別の解雇でもないというものだ。
読売新聞足利小俣でアルバイトの配達員として8年ほど働いていたN組合員。2019年10月に前の店主が廃業を決め、現在の栗野氏に販売契約が移った。
読売新聞販売店が読売新聞の販売を行うためには、店主が読売新聞東京本社とのそのエリアでの独占販売契約を締結する。契約終了者から新契約者への業務の移行に際しては、両者が読売新聞東京本社の立ち合いの元に「引継書」を作成する。ここには前店主が新店主に責任を持って引継を行う、読売新聞本社にも購読者にも迷惑をかけないとの誓約が記され、それを条件に、前契約者(店主)は契約移行日の購読者数を基準とした引継協力金の支払いを受けることができる。実質的にはエリアの販売権と購読契約の売買だ。
N組合員の闘いと解雇の根底には、従来の新聞販売業界の深刻な危機がある。ネットの普及と世代交代により、新聞購読者は減少の一途をたどっている。企業の広告もネットを重視するようになった。新聞販売店の経営は厳しくなるばかり。そこへコロナだ。高齢化する中で廃業する店主が後を絶たない。
こうした中で、これまでの常識をぶっとばして、廃業する店主の販売権を買いまくり、従業員に低賃金で1人300、400、500という部数の配達を強制する若い店主が登場してきた(エリアによるがこれまでは200以下が普通。遅くとも朝刊を6時までに配達するためにはそれが適正だった)。その一人が読売新聞足利西部の店主の栗野氏だ。
栗野氏は、隣の読売新聞足利小俣の店主が廃業すると聞いて、これも買い取った。今、千葉、栃木、茨城、静岡などで販売契約を買い取り、テリトリーを拡大中である。
昔は新聞販売店の店主といえば、いわば一国一城の主。自分のエリアの販売に自ら責任を取り、従業員との人間関係も大切にされた。しかし栗野氏らのやり方は違う。これは新自由主義の中で地域の酒屋などが大型スーパーの出店などで再編されて多くがコンビニに業態転換していったのを彷彿とさせる。
栗野氏は2019年10月に読売新聞の販売契約を結ぶと店と従業員も引き継いだ。この時、前店主と読売本社とは引継書で個別の新規雇用であると確認している。しかし、栗野氏は新たな雇用契約書を取り交わすでもなく、新しい雇用主がどこの誰なのか説明するでもなく、当分これまでと同じ労働条件で働いてくださいと伝えただけである。
ところが去年2020年2月に栗野氏はこれからは1人300〜400部配達してもらう、賃金はこれまでが高すぎたからとN組合員には賃下げするというのだ。
N組合員はその前からこの会社はやばいと思い群馬合同労組に相談加入していたが、突然の労働条件の一方的な切下げ強行に対してストライキで対抗した。この過程で最初は16人いた従業員は12名が退職せざるをえなかった。残るも地獄、去るも地獄。止むに止まれぬストライキだった。
しかしこのストライキは決定的なストライキとなった。栗野氏がでたらめな法令無視を決め込んでいたこと、さまざまなコンプライアンス違反も暴き出し、団交に栗野氏を引きずり出すまで続けられ、組合との協議を通して労働条件を確定する合意、N組合員の復職の合意を勝ち取ったのである。何よりもこのストライキを通してN組合員が職場で闘う決意を作り出したのだ。
栗野氏は重大な爆弾を抱え込むことになった。本当は使えない従業員は全部追い出したかったに違いない。すねに傷を負って助けてくれと言ってくる、言うことを黙って聞く従業員を集め、栗野氏のビジネスモデルの基礎固めをしたかったに違いない。
N組合員は孤立しながらもがんばった。何よりも究極的な人員不足の中、新しく足利西部の区域担当を命じられ、覚えてもいないのに、一人立ちをさせられる。これまでやったこともない360軒の配達。バイクはポンコツで、荷崩れや転倒を毎日のように繰り返していた。「不着」が多いのは当たり前だった。「遅配」は無理な配達数の当然の結果だ。
そのような中で、職場の改善も実現し、就業規則も作らせ、時給1000円で深夜割増、あとは労働時間の確定だけが問題だった。サボってるんじゃないかと渋る栗野氏に、時速30キロのバイクでどれだけ配達時間がかかるのか、店長に追走させて確認までさせた。あとは雇用契約書のサインと若干の交渉を残すだけだった。
昨年の8月6日のヒロシマの集会にN組合員は初めて有給休暇を使って参加をした。他の従業員の中にも久しぶりに有休を使って帰省をする人も出てきた。そんな中で勤務の調整があり、火曜日が休みのN組合員はそれをうっかりして火曜日の出勤を忘れて家飲みしてしまった。出勤時間に店長から電話がかかってきたが飲酒運転するわけにもいかない。これが無断欠勤。
8月20日の団体交渉は最後の労働条件の確定と雇用契約書の取り交わしの場となるはずであった。ところがこの場に社長は現れず、春日と名乗る人物が「社長に依頼された」と店長といっしょに現れた。明らかに代理権はないのだが、団交の目的が達成されるならばいいだろうと団交を始めた。すると春日はN組合員の「欠配」(無断欠勤)を持ち出し、読売本社から指摘を受けたのでN組合員にはしばらく配達してもらうわけにはいかない、給料は払うのでと、10日ほどの自宅待機を命じたのである。
そして8月末に再度開かれた団体交渉で栗野社長と春日は、「欠配」「不着」「遅配」を並び立てて、これまで通りの労働条件でN組合員を雇用し続けることはできない、特別扱いできる状況ではないので、他の従業員と同じ月給制にしてほしいと、これまでの交渉の経緯を投げ捨てた。冗談じゃないとN組合員と組合が拒否をしたところ、出してきたのが解雇通告書。解雇理由は最初に書いたように能力不足、会社の損害。あくまでも懲戒解雇ではなく、普通解雇だと言い張る。組合とN組合員は断固受けて立って解雇撤回まで闘うと通告した。そうして始まったのがこの群馬県労働委員会での不当労働行為救済の申立である。
前フリが長くなったが、今回の労働委員会の焦点は、N組合員の能力不足と会社が被った損害が事実なのかということである。
組合の主張は、指導も行わず、これほどの急激な配達部数を上乗せしたのだから、「不着」が多少増えたとしても、それは会社の責任である。「遅配」も事実ではなく他の従業員と特別には変わらない。「欠配」は勤務調整の結果であり、就業規則の懲戒規定にのっとってけん責処分が相当である、ということである。
会社はN組合員の配達エリアの購読者からの電話のクレームの記録や従業員の陳述書などを証拠として出してきた。クレームには「激怒」などの言葉も並ぶ。
しかしながら、N組合員が日頃スマホで写真撮影などして確保してきた記録が威力を発揮する。配達終了時間は他の従業員とさほどの差がないこと、クレームの原因にはN組合員の前の担当者あるいは代配(休みの日の交代要員)の責任によるものが多くあることがわかったのである。
また会社は、解雇に至るまで、会社がどれだけ組合に誠実に対応したか、就業規則の作成も組合の協力で作った、不当労働行為意思など存在しないと主張した。
しかしながら、栗野氏の考えは、N組合員だけ他の従業員とは別の雇用関係に置こうとしたのだということが明らかになった。N組合員が労働者代表となり組合がいっしょに作ったパートタイマー就業規則。なんとこの就業規則が適用されるのはN組合員だけだというのである。他の従業員は全員「月給制」なのだと。これは実質的には請負賃金に等しい。実働2〜3時間などと募集をかけながら、どれだけ時間がかかろうがそれは個人の能力不足にして、タダ働きさせるのだ。
実はこのインチキな「月給制」は栗野氏のビジネスモデルの核心部分になる。無断欠勤を絶好のチャンスととらえた栗野氏は、「月給制」への屈服をN組合員と組合に迫った。拒否されたら「普通解雇」で追い出すと。
山梨から素性も明かせぬ春日なる人物を団交に呼び寄せたのも、懲戒解雇ならば負ける。このやり方ならば普通解雇で追い出せるとの発案者だったからだ。
こんなでたらめがまかり通るのは、日本の労働者をめぐる状況がでたらめだからだ。その要因のひとつに日本のメディアの腐敗とダメさ加減がある。こんな状況を変える道はメディアを支える職場・現場から闘いと連帯を作り出すことにある。N組合員の闘いと労働委員会の闘いはその第一歩を切り開く闘いだ。必ず勝利したい。