『国際連帯』に寄稿 『訪韓行動でサムチョクとの交流と連帯深める』 

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訪韓行動でサムチョクとの交流と連帯深める

 

群馬合同労組 執行委員長 清水彰二

 

 

2017年11月11日から13日まで、群馬合同労組は私を含めて3名で、動労千葉訪韓団の一員として訪韓闘争に参加した。私と須永副委員長は、2015年2016年に続いて3回目。2017年6月に加入した青年がはじめて参加した。

須永副委員長は、5年前から韓国語の学習に力を入れ、3ヶ月の語学留学はじめ何度となく韓国へ通ってきた。とりわけ古い友人であるMさんに誘われて、2016年サムチョク(三陟)市の脱原発運動との交流の旅に同行した。

サムチョク市は人口7万人、韓国の江原道にある東海岸の海辺の町。1982年に原発建設計画が持ち上がるが1998年に白紙撤回させた。ところが2010年に再び原発の建設計画がおこり、これに2014年市長選挙と住民投票で勝利して、ついに原発計画の白紙撤回を勝ちとった。サムチョク郵便局前で行われてきた水曜日集会、巡礼行進、老若男女さまざまな市民が力をあわせて闘ってきた。現在は火力発電所建設計画が持ち上がり、これとも闘いをすすめている。

須永副委員長のサムチョク訪問以降、2012年8月から毎週欠かさず行ってきた高崎金曜日行動と、サムチョクの原発反対運動との交流がはじまった。フェイスブックを通じた交流はリアルタイムでお互いの連帯を深めた。韓国・サムチョクの闘いの重要な節目には、高崎金曜日行動や群馬合同労組のデモなどでハングルでメッセージを発信して、連帯を表明してきた。逆にサムチョクから群馬・高崎に連帯行動が組織され、メッセージや激励が送られてきた。2017年6月に仲間が金曜日行動参加中に脳出血で倒れ、必死で闘病リハビリに取り組んでいることに対して、心暖まる激励が組織された。お互いの交流が、温もりのある、顔の見える交流に深まっていった。

 

 

 

今回の訪韓闘争で、サムチョクの仲間は、須永副委員長を通じて、群馬の訪韓団に対して、至れり尽くせりの受け入れ体制を取ってくれた。宿の手配から、空港への出迎え、滞在期間の食事から、全過程を通じて、行動をともにしてくれた。忙しい中、バスでソウルまで5時間もかかるサムチョクから、たった数時間の交流のために、わざわざ会いに来てくれた仲間がいた。

今回の訪韓で、とても重要だったことは、サムチョクの労働者との具体的な交流が実現できたことである。サムチョクの原発反対運動は、宗教者を中心にして、労働者も農民も市民も、老若男女がひとつになって闘ってきた。その中で、労働者はやはり重要な役割を果たしていることがわかる。サムチョクの仲間は、とりわけても訪韓した群馬合同労組の仲間にサムチョクの労働者を引き合わせたいと、今回の受入体制を取ってくれたのである。

特に、その中に2016年11月14日に動労千葉訪韓団として籠城中のテントに表敬訪問したサンピョセメントの労働者がいる(群馬の訪韓団は先に帰国して不参加)。民主労総江原嶺東地域労組東洋セメント支部の下請け労働者たちは、石灰石を採掘し、セメント生産業務を担っていたが、賃金は元請けの約40%。2014年5月に下請け会社に初の労組を結成し、翌年2月、雇用労働部が東洋セメントの偽装請負を認定、元請け正規職として雇用するよう決定した。その直後、東洋セメントは労組解体を目的に下請け会社との契約を解除し、下請け労働者101人を解雇した。以来、弾圧に屈せず、組合員23人が闘ってきた。非正規職撤廃とさけび、27日間の断食高空ろう城闘争、935日の闘争を闘い抜いて勝利、ついに正規職としてサムチョクの職場に戻るという。まさに復職のための研修期間中に今回の交流を実現できた。文字通り韓国の非正規職撤廃闘争の重要な闘いである。

他にもサムチョクの労働者を次々と紹介してもらった。サムチョクの水曜日行動の写真を見て、ここに私がいますといった具合だった。

11月12日の午前中、午後からの民主労総の大会を前に、サムチョクの仲間の案内でソデムン(西大門)刑務所を見学した。西大門(ソデムン)刑務所は、日本の植民地にされた朝鮮で、日本の植民地支配に抵抗した人々を拷問し、死刑にした極悪の刑務所。戦後はアメリカかいらいの軍事独裁政権に反対し、平和と民族統一、民主主義をのぞんだ人々を、やはりスパイにでっち上げて、拷問し、処刑した場所。それが今は博物館となって、子供連れがたくさん見学に来ていた。私たちは、案内してくれたサムチョクの仲間からこんな話を聞いた。お連れ合いがパク・チョンヒ大統領の時代にスパイにでっち上げられ、10年間の刑務所生活を余儀なくされたこと、その後再審で無罪を勝ちとり、今も政治犯の救援運動をされていること、義父はこの西大門(ソデムン)刑務所で殺されたこと…。私たちは、このサムチョクの仲間とともに慰霊塔で祈りを捧げることができた。私たちの祈りはもちろん日本人としての謝罪ではあるが、それは贖罪ではなく、力をあわせてプロレタリア世界革命をともに実現し、戦争も核も必ずやなくしてみせるという決意である。

 

 

 

https://international-center.amebaownd.com/

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