11・5全国労働者総決起集会~韓国訪問・国際連帯の力で原発も戦争もとめよう!

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トランプを迎えうち、北朝鮮への先制攻撃を許さないと声をあげた11・5全国労働者総決起集会/改憲阻止1万人行動。10年以上にわたって積み上げてきた韓国とアメリカ、ドイツとの国際連帯が、決定的な意味をもっていることが、浮かびあがってきた。

 

群馬合同労組は、2011年3・11福島原発事故以来、群馬・高崎での反原発運動の重要な役割を担ってきたと自負している。2012年8月から高崎金曜日行動をよびかけ、以来5年あまり一度も休むことなく高崎駅西口での金曜集会をおこなってきた。2016年須永副委員長が韓国・三陟(サムチョク)の原発建設反対運動を訪れてから、その縁で高崎金曜日行動とサムチョクとの、フェイスブックでの交流・連帯がはじまった。

 

 サムチョク市は人口7万人、韓国の江原道にある東海岸の海辺の町。1982年に原発建設計画が持ち上がるが1998年に白紙撤回させる。ところが2010年に再び原発の建設計画がおこり、これに2014年市長選挙と住民投票で勝利して、ついに原発計画の白紙撤回を勝ちとった。サムチョク郵便局前で行われてきた水曜日集会、巡礼行進、老若男女さまざまな市民が力をあわせて闘ってきた。高崎金曜日行動はサムチョクの闘いに感激し、ハングルのプラカードをかかげて応援のエールを送った。

今年の6月23日、毎週高崎金曜日行動でいっしょに核と原発に反対し、戦争に反対して声をあげてきた救現堂(くげんどう)・秋山太一さんが、金曜日行動の現場でアピールの後、脳出血で倒れて、救急車で病院に運ばれた。サムチョクの仲間は、我がことのように心配して、今度は日本語のプラカードをかかげて高崎と秋山さんにエールを送ってくれた。

その中で11月11日、清水委員長、須永副委員長、6月に加入した青年の3名が、動労千葉訪韓団の一員として韓国民主労総の労働者大会に参加するために訪韓した。高崎の金曜日行動にも参加してくれている栃木の仲間2人も加わった。サムチョクの仲間は、空港まで出迎え、宿をとってくれ、サムチョクの労働者に会わせると、たいへんな歓迎をしてくれた。高崎からは金曜日行動の仲間の連帯のボードをつくり、日本酒のおみやげを託されて持参した。

 ソウルの労働者集会では、サムチョクの仲間から多くのサムチョクの労働者を紹介してもらった。昨年動労千葉訪韓団として籠城中のテントに表敬訪問したサンピョセメントの労働者にも紹介してもらった。非正規職撤廃とさけび、27日間の断食高空ろう城闘争、935日の闘争を闘い抜いて勝利、ついに正規職としてサムチョクの職場に戻るという。すばらしい労働者ばかりだ。サムチョクの原発反対運動は、カトリック教会の牧師さんが代表をつとめ、農民や、市民、何よりこうした労働者が職場で闘いながら、団結して、原発計画を葬ってきた。日本の私たちが学んで同じ闘いをやらないといけない。

 

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=jOKWsGTH1eA

 

そして日本に帰ってきた高崎金曜日行動。ついに秋山太一さんが車いすでカムバック。再びみんなの前でマイクをにぎった。…「未来をあきらめないでがんばりましょう」「友人のデニス・バンクス(アメリカンインディアン運動のリーダー)が亡くなった。土にかえる。」「放射能から、命と大地を守る、それはどこの国でも同じ」「アメリカではホワイトハウスに対して闘っている」「日本ではなぜ労働界や民衆が正しいことをいわないのか」「理想をかかげて戦争をさせないという当たり前のことを声に出して言う」「今日は4ヶ月ぶりにそんなわけで、このあいだアジアパン食べたら元気になって(笑)今日は出てきました」「アジアが平和でなければ日本が平和だなんてありえない」「韓国に戦争させて日本は平和だなんてとんでもない話」「核戦争になれば1億や何千万の人が一瞬に死にます」「苦しんで死ぬ」「そんなことは二度としてはいけない」「はっきりさせましょう。戦争なんてはじまってから言ってももう遅い。」(ドンドンドンドン(太鼓を叩く))「戦争はさせない!」(ドンドンドンドン)「我々の目の黒いうちは戦争はさせない!」「若者たちを犠牲にするな!」(ドンドンドンドン)「タカキンはみんなの声で理想を掲げて前に進みましょう!」「みなさんありがとう!」

 そして最後に記念写真。ハングルでかいたプラカードをもって。太一さんが持つプラカードには「愛してます!」

 

 「サムチョク平和」さんがフェイスブックで投稿してくれた文章を紹介します。

「原子力発電所反対運動を始めてとても疲れる時がありました。

しかしこのように感動を受けるのでかつてきつかったことなどが溶けてしまいます。

…互いに連帯するということがこのようにお互いに力になりますね。

玄海灘を越えて平和の手を握る私たちは政府がやれない仕事を民間人ができると思いました。

核のない世の中

戦争のない世の中のために堅く手を握ります。」

☆☆☆

 

 

それから今回の訪韓行動で重要だったことに、サムチョクの二人の仲間の案内で(お一人は数時間の交流のためにバスで片道5時間かけてソウルに来てくれた)、西大門(ソデムン)刑務所を見学してまわったことがある。西大門(ソデムン)刑務所は、日本の植民地にされた朝鮮で、日本の植民地支配に抵抗した人々を拷問し、死刑にした極悪の刑務所。戦後はアメリカかいらいの軍事独裁政権に反対し、平和と民族統一、民主主義をのぞんだ人々を、やはりスパイにでっち上げて、拷問し、処刑した場所。それが今は博物館となって、子供連れがたくさん見学に来ていた。

私たちは、案内してくれたサムチョクの仲間から聞いた。お連れ合いがパク・チョンヒ大統領の時代にスパイにでっち上げられ、10年間の刑務所生活を余儀なくされたこと、その後再審で無罪を勝ちとり、今も政治犯の救援運動をされていること、義父はこの西大門(ソデムン)刑務所で殺されたこと…

 

 

 

 

 刑務所には、当時の監獄がそのまま保存され、拷問具や拷問風景の再現人形、死刑場や死刑台、写真や資料が展示されている。それは、まさに極悪非道、地獄の図である。ある部屋には犠牲になったたくさんの人々の写真が壁を埋め尽くしていた。サムチョクの仲間の話を思い出す。グッと熱いものがこみ上げる。

 別のコーナーでは、戦後の民主化闘争にたち上がったたくさんの人々、とりわけ労働者の闘いが写真や資料で展示されていた。今日の労働者の闘いがどのように、歴史を引きつぎ、一歩一歩前進してきたのかが迫ってくる。

 

 

 西大門(ソデムン)刑務所を見学した夜、軍隊慰安婦の少女像の前を通った。去年まで日本大使館の前に座っていた慰安婦の少女像だったが、撤去撤去とさわいでいた日本大使館が出て行ってしまった。そこを今もテントをはって大学生のグループが守っている。サムチョクの仲間にうながされて、少女像のとなりのイスに交代で座って少女像の手を握った。絶対にくり返させない、ともに闘う、それが私たちの謝罪だ。

 まだ組合に入ったばかりの青年が言った。日本に帰ったらこんな日本の悪逆非道を一人でも多くの日本人に教えなければいけない、と。そしてまた来年も必ず韓国に来ると。

 

 

 

 そうだ。労働者の職場での闘いを軸にして、地域で闘い、あらゆる民衆と団結して、韓国の仲間に恥じない闘いをつくり出す、これが韓国を訪問した者ひとりひとりの誓いであり、高崎の仲間の誓いだ。

 

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